情報を取得するときにあなたはどういった視点でその情報を分析していますか?
誰が発した情報か?主張に対してどういう論拠と裏付けがあるか?情報が意味することは何か?どういう時代背景、状況において発せられた情報か?…etc.
どれも情報を分析するに当たって重要な視点ですが、この記事では「情報にはどういった人為的意図が込められているか?」という視点を持つことの重要性を述べます。
「情報に意図が込めらている」とはどういうことでしょうか。例えば、この記事から読み取ることができる情報にはいくつかの私の意図が込められています。
私が何のためにこの記事を書いているかというと、ホームページのコンテンツを充実させる為であり、アウトプットによって思考を整理する為であり、この記事を読んだ人に私の考えを知ってもらう為(自己紹介をする為)であり、私や私が提供するサービスに興味を持ってもらう為であり、またこの記事の情報を活用して人生を豊かにしてもらう為でもあります。(他にも娯楽やストレス解消という意図があったり、思考力・言語化能力などスキルアップの意図があったりと列挙しきれないほど無数の意図が込められています。)
この記事の情報だけに限らず、情報は必ず発信者による無数の意図が込められています。
情報の意図を読むという視点は情報を正しく理解するために欠かせない視点です。情報の意図を読むことができれば、情報を間違って解釈したり、コミュニケーションで誤解が生まれたりといったことを格段に減らすことができます。
また、有益な情報の多くは、情報そのものではなく裏側に隠されている意図に潜んでいます。
この記事を通して、情報の意図を読むことの重要度を高め、情報の意図を読む習慣を身につけていただければ良いなと思います。
悪口かどうかは意図で判断する
悪意のある主張は基本的に悪口になります。
悪意とは、他人を陥れようという意図や相対的に相手の評価を下げようという意図のことです。
自分が何らかの主張を行うときは悪意のない主張しかしてはいけません。もちろん悪意がなければどんなことを主張しても良いというわけではありません。相手次第の問題ですが、悪意のある主張でなくても人は傷つくことがあります。当然ですが悪意がなくても他人が傷つく主張はしないように努めなければいけません。それはそれとして、とにかく悪意のある主張は今後一切しないことです。
また、悪意のある主張に耳を傾けたり支持することもやめましょう。悪意が込められた主張がどんなに的を得たものであっても、その主張を支持すれば一緒に悪口を言っているのと同じです。twitterなどのSNSでは皮肉めいた悪意のある主張がバズりやすい傾向にありますが、それが良い主張だと勘違いしてはいけません。個人的には大衆ウケした度合いよりも、主張に品格の高さを感じるかどうかの方が大事だと思っています。
ただし、お笑いや落語のような「業の肯定」が前提にある状況においては、特例として悪意という意図が良いものとして捉えられる場合があります。人間の「業(ごう)」とは、簡単に言えば人間の「愚かさ」のことです。「業を肯定する」つまり「愚かなこと(一般的にはマイナスなこと)を良しとする」という特殊な前提条件が備わっている状況にあるとき、悪意というマイナスな意図は一種のリスペクトのようなプラスの意図へと変わります。マイナスの条件(状況)にマイナスの要素を掛け合わせればプラスになるということです。
まず、「悪意のある主張は一切しない。また、悪意のある主張は一切支持しない。」これが当たり前にできるようになったら、「ただし、互いに業の肯定が前提として共有されている時は除く。」といった様々な条件をつけて、柔軟性を身につけていけば良いかと思います。
意図を失った古い慣習について
情報と同じように慣習もまた、何らかの意図を持って生まれています。
しかしながら、慣習は時間とともに意図を失う場合があります。意図を失った慣習が「昔からそうしてきたから」という理由だけで残ってしまうこともしばしば散見されます。
「昔からそうしてきたから」という理由では思考を停止しているのと変わりません。「何となく続けたほうが良さそうだ」と直感的に感じるものがあるならその慣習は残しても良いと思いますが、「正直必要ない」と感じているなら意図を失った慣習は今すぐやめるべきです。
過去に必要だった慣習が今も必要とは限りません。人生は有限です。慣習が生み出された意図を読み、取捨選択し続けましょう。
情報が発信された意図を読む
情報の内容そのものを理解することよりも、情報が発信された意図を理解することの方が大事なことがしばしばあります。
特に取得できないほどの大量の情報が溢れている時代においては、「沢山情報がある中、なぜこの情報ばかりが大衆に届くように発信されているのか?」といった、俯瞰的に意図を観察する視点は重要です。
情報社会とは言わば洗脳社会です。今の時代は情報のコントロールによって様々な洗脳が仕掛けられていると考えられます。情報発信者が発信者にとって都合の良い情報だけを受信者に対して流したり、都合の悪い情報から注意を背けさせて隠すなどして、洗脳を仕掛けているということです。
洗脳の基本は情報のコントロールです。情報は受信者に何らかの感情を作らせます。そしてその感情が何らかの選択を誘発させます。情報をコントロールされれば人は簡単に行動をコントロールされるのです。
まず、洗脳から身を守るためにも、情報を受け入れる前に一度情報が発信された意図を考えましょう。情報発信者の意図がわかった上で、敢えてその意図に乗ってあげるのは自由です。
問題は意図を知らずに、その意図に乗せられてコントロールされること。自分で自分の行動を制御することが大事だということです。そのためには「情報が発信された意図を読む」というのは欠かせません。
人間の行動データには全て何らかの意図が含まれている
常勝トレーダーの多くは無機質な指標から他のトレーダーの意図を読み取ってトレードしています。
チャートの動きや板の動き、出来高など、数値化された無機質なデータも元々は人間の意図によって生み出された情報です。データを注意深く観察していると、相場に参加しているトレーダーの恐怖や欲望が透けて見えます。
信じられないかもしれませんが、常勝トレーダーにとってはそれらのデータがまるで一つの生命体のように感じられ、その生命体の息遣いを見ればどのタイミングで売買すれば良いかがわかるのです。
常勝トレーダーは特殊な情報網を持っていたり、他のトレーダーと特段変わったデータを見ているわけではありません。基本的には他のトレーダーと同じデータを見てトレードしています。ただ、他のトレーダーが持っていない視点でそのデータを見ているため、結果的に取得している情報量が違ってくるのです。
常勝トレーダーの例からわかるように、人間の行動データには何らかの意図が内在しています。そしてその意図を読んでいるかどうかで実際に大きな結果の差が生まれているのです。
最初の方で、"有益な情報の多くは、情報そのものではなく裏側に隠されている意図に潜んでいる"と言った意味が何と無く理解できたかと思います。
無意識に生じている意図を読む
人は情報を発信する際、意識的に意図していなくても、無意識になんらかの意図を込めて情報を発信します。
例えば、子ども想いであるが故にドリームキラーとなってしまっている親は、無意識に子供の夢を妨げるような意図が働いていたりします。子供の夢を応援したいという気持ちがありながらも、無意識は子供のことを心配し、安全な場所(コンフォートゾーン)から離れて夢に向かうのを止めるように意図が働くのです。
厄介なのは情報を発信している本人が無意識の意図に気づいていないところです。本人自身が自分の意図に気づいていない場合、悪気や後ろめたさがない分、意識的な意図よりも大きなエネルギーが込められます。それがドリームサポーターの意図であればわざわざ身構える必要はありませんが、ドリームキラーの意図なら身を守るためにも対処が必要です。
自分の身を守るために、まず相手の無意識の意図を読み取る必要があります。相手の無意識の意図を読み取るには、意識的な意図を読み取る時とは違って若干工夫が必要です。普通に相手の意図を読み取る時は「この人は何でこのような情報を発信したのか?」と考えれば良いだけですが、相手自身も気づいていない無意識の意図を読み取るには「この人はどういう価値観・信念・ゴールを持っているのか?」と考え見極める必要があります。
そんなことができるのか?と思うかもしれませんが、自分自身のことは以外と自分が一番わからないものです。客観的な視点で見たときに見えやすいものは沢山あります。違った視点からスコトーマを避けて観察することで、相手自身が見えていない意図を見るのです。コツは相手に共感しないこと。相手に共感した瞬間、相手と同じ視点になり客観的な視点を失います。そうなると相手の無意識の意図通りに行動を制御させられかねません。
他人にコントロールされないためにも情報発信者の無意識の意図を読む習慣を持ちましょう。
裏側に潜む人間の意図を読む
情報発信者の意図を正確に読み取れたとしても、その情報発信者がすでに別の誰かによってコントロールされている場合はさらに注意が必要です。
すでに別の誰かによってコントロールされている人たちのことをネットなどでは"信者"と言った言葉で揶揄されていますが、信者が発する情報の意図をいくら読み取ってもその情報の本質は見えてきません。
信者が発信する情報の本質を見極めるには、信者をコントロールしている人間である”教祖”の意図を読む必要があります。
情報の多くは教祖によって仕掛けられ、信者によって拡散されたものです。信者の裏側に教祖がいてさらにその裏側に何重にも教祖がいるといった状態が現実です。その教祖が人でも組織でもなく、姿形のない共同幻想や怨念のようなものであることもあります。
情報の意図の裏側を深く深く覗き込まなければ本質は見えてきません。
教祖の意図を読んで本質をわかった気でいるのが一番危険です。その瞬間、自分自身がさらに裏にいる教祖の信者となってしまいます。教祖の存在を自覚しているのなら信仰の自由として考えることができるので問題ありませんが、自覚なしに認識すらできていない教祖が仕掛けた価値観や信念を信じるのは、名も知らない他人に洗脳され行動をコントロールされているのと同じです。
社会でまともに情報を得ている限り、他人に一切洗脳されず生きるというのは殆ど無理だと言えますが、できるだけ洗脳を受けずに自分で自分の行動をコントロールできる領域を増やしていくべきです。
自分の行動の制御領域を狭めないために今すぐできることは、情報の本質をわかった気でいないことです。
言い換えると、「謙虚な姿勢で情報を捉える」ということです。情報を深く掘り下げ、これ以上掘れない所まで行ったら「もうこれ以上掘り下げるのは十分だ」と満足するのではなく、「もっと自分に力がついたらまた堀りにこよう」と保留する。「現時点ではこの情報はこう捉えている」といった感じで自分の中で結論を保留するのです。
満足せず保留している状態なら、時間が経てばもっと深くその情報を掘り下げられる時が来るかもしれません。何より、盲信的に情報を信じて、必要以上に自分の行動をコントロールされることがなくなるでしょう。
まとめ〜自分自身の情報〜
ここまで、自分以外の情報にばかりフォーカスしてきましたが、一番大事なのは自分自身の情報です。
結局のところ、どんな情報を認識するかは自分の脳のRAS※1(ラス)が決めることです。第三者が意図的に特定の情報に注意を引きつけようとしたところで、自分のRASがその情報に価値を感じていなければ認識にすら上がりません。
※1.RAS(reticular activating system ):網様体賦活系。人の脳の活性化ネットワークのことで、毎秒毎秒大量に入ってくる情報のうちどれを認識に上げるかを決定する役割を持つもの。
"意図"と"RAS”は同じ親から生まれています。その親とは自分の価値観・信念・ゴールです。
”意図”と”RAS”は兄弟のようなものです。意図は情報の送信機で、RASは情報の受信機と考えても良いかもしれません。意図が生じると私たちは情報という物理的な信号を発し、外部に影響を与えます。また、RASのおかげで私たちは外部の情報を受信でき、外部から影響を受けます。
全ての存在は関係性によって定義されます。情報が単体で存在することはありません。情報があれば必ずその情報の受取手がいて、情報と受取手の関係性によってその情報は定義されます。つまり、情報の本質を見るとは、情報と情報の受取手の関係をしっかり見るということです。さらに言えば、「”情報の本質”とは”情報と情報の受取手の関係性”そのもののことだ」ということです。
自分という情報の本質を知りたければ自分自身の意図を読み取ることです。そしてその自分自身の意図を読み取りたければ意図のもととなっている価値観・信念・ゴールを見ることです。
認識に上がった情報の本質を見極めるには、その情報に込められている意図を読み、かつ、自分とその情報との関係性を明確に理解する必要があります。その時、自分自身の価値観・信念・ゴールをしっかり理解していなければ、自分とその情報の関係性を明確に理解することはできません。
価値観・信念・ゴールといった自分自身の情報を理解し、より良い情報に書き換えて行く技術を身につけましょう。その技術を我々コーチはセルフコーチングと呼んでいます。
情報の意図を読む手段として、ぜひ、セルフコーチングやコーチングを活用して見てください。