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人は物事(情報)を何らかの物差し(評価軸・価値基準)で計測(評価)して認識します。また、よくわからないもの(評価できないもの)は不確定要素の塊として認識するため、安定(現状維持)という観点から悪い評価を下します。

あらゆる情報が無料で手に入る時代ですが、無料だからと言ってそれらの情報に価値がないとは言えません。価値があるかどうかは観測する人間が持つ物差し次第で変化します。猫に小判の価値がわからないのは、猫が小判を評価する物差しを持ち合わせていないからです。豚に真珠を与えると怒って害を与えてくるのは、豚が真珠を悪いものとして評価するからです。

あらゆる情報は価値を内在しています。情報に価値を感じられないのは、自分がその情報を評価する物差しを持ち合わせていないからです。

物差しを変化させることで、この宇宙は如何様にも変化します。

では、その物差しとはどういうものかを様々な例を通して確認して行きましょう。


幸せとは何か

誰もが幸せを望んでいますが、その幸せとはどういったものでしょうか?

当然ですが、人それぞれ何に幸せを感じるかは異なります。なぜかというと、幸せという概念も個々が持っている価値基準の一つに過ぎないからです。

ありふれた日常に幸せを感じられる人もいれば、不満を感じる人もいます。「猫に小判」、「豚に真珠」の理論と同じです。同じ状況でも人それぞれ感じ方は異なります。

幸せも価値のある情報と同じく、すでに目の前に存在しています。目の前の幸せに気づけないのは、単に、その幸せを認識する物差しを持ち合わせていないからです。

「自分にとって幸せとはこういうものだ」という幸せの定義がなければ、幸せなど存在しません。逆にしっかり定義できれば、幸せは突然現れます。その幸せが現状に存在しているならしっかり噛み締めれば良いですし、現状の外側にあるのならそれをゴールとして幸せを掴みに行けば良いだけです。

この宇宙は幸せに満ち溢れています。ゴールを沢山持っている人が生き生きしているのは、宇宙に満ち溢れている幸せを認識するための物差しを沢山持っているからです。

「自分にとっての幸せ」を沢山定義していきましょう。この宇宙がどんどん美しいものに変わって行くはずです。

セルフコーチングとはゴールを基準に生きるということ

セルフコーチングは誰にでも簡単にできます。実際にやっていることは至って単純だからです。

ゴールを設定し、そのゴールを基準に目の前の現象や情報を評価し、行動・選択を行う。

それだけでセルフコーチングができていると言えます。

誰もが、何らかの基準を基に目の前の現象や情報を評価し、行動・選択を行っています。セルフコーチングとはただ、その基準をゴールに置き換えましょうといっているだけです。(ゴールが設定されていないと脳は自動的に過去の経験を基準に情報を評価してしまいます。)

何も難しく考えることはありません。ゴールを基準として生きることを決めたなら、後は自己を細かく観察するだけです。

今現在のエフィカシー、セルフエスティーム、セルフイメージ、セルフトーク、態度、習慣、無意識の反応、知識量、自己を取り巻く環境などがゴールに相応しいものか?これから行う行動や選択がゴールに近づくものか?といった感じで、一つ一つ観察し、吟味します。

そして自己をゴールに相応しい状態に書き換える。というよりは、認識にさえ上がれば勝手に書き換わります。基準とのズレを認識した瞬間、自動的に不快感や後悔といった負の情動が生じます。負の情動を避けるために基準通りの状態に戻ろうとする力がホメオスタシスであり、その基準の範囲内のことをコンフォートゾーンと言います。これらはゴールを基準として設定することで生まれる作用であるため、意識的にホメオスタシスを働かせたり、意識的にコンフォートゾーンを作り上げるということはできません。故に、ゴール設定さえできれば自動的にゴールに相応しい自己へと書き換わってしまうのです。(ホメオスタシスやコンフォートゾーンは勝手に出来上がるものですが、ゴールを書き換えることで、意図的にホメオスタシスの働く方向をコントロールしたり、コンフォートゾーンの範囲を自在に書き換えたりすることは可能です。)

どんな人間も自由にゴールを描き、それを基準に生きて良いのです。コーチングを知る前までの私はそれを知りませんでした。自分で基準を作っては行けないと思っていました。とても生きづらい人生でしたが、今は違います。コーチングが私に自由に生きても良いことを教えてくれたから、私は自分でゴールを設定しそのゴールを基準に生きることができています。

他人のゴールを侵害しない(他人に迷惑をかけない)

自己の抽象度が低いと、他人のゴールと自分のゴールが同時に成り立つ事が出来ず、矛盾が生じます。自己の抽象度が低い人が集まると、私利私欲が渦巻き合う競争社会が生まれます。それは弱い者のゴールは淘汰され、強い者のゴールだけが達成される社会です。競争によって人間の生活が豊かになったのは事実ですが、これからの時代は共生の時代です。

※自己の抽象度について詳しい記述はこちら
cf.セルフコーチングが上手く行かない人へ(超訳コーチング理論)

※共生の時代について詳しい記述はこちら
cf.共生の時代における社会と自分

TICEコーチングや苫米地式コーチングにおける”ゴール”他人との比較を許されていません。つまり、他人との競争に勝利することがゴールになることはあり得ないのです。競争に勝つというゴールはレベルが低すぎるとも言えます。もっと大きなゴールがあって、そのゴールに向かう過程で、結果として他人より優れた結果を出してしまっているだけ。という状態でなければ、これからの時代は競争に勝つことすら出来なくなるでしょう。

まずは他人と比較するのをやめる。それだけで、他人の足を引っ張ったり蹴落としたりという必要がなくなります。自分を高めることだけに集中できます。他人のことを気にしている人より、良い結果がでるのは必然でしょう。

他人の足を引っ張り引きずり落とそうとする人は周囲から忌み嫌われ、淘汰される方向に力が働きます。逆に他人を引っ張り上げる人は、周囲から応援され助けられます。

おそらくそろそろ競争の時代は終わります。自分だけが生き残ろうとする人ほど淘汰されます。コロナウイルスが流行した時一目散に大量のマスクを買い占めた人は自分がどういう基準で生きているか確認してみてください。(自分の身を守ろうとすることは人間として大切な反応です。ただ必要以上に独占すると本当に必要としている人が困るということも考えて行動すべきでしょう。)

自分のゴールも大事ですが、他人のゴールも同じように大事であると思えるようになることです。自分のゴールという物差しだけでなく、他人のゴールという物差しも持っていれば、より沢山の情報に価値を感じられるようになるかと思います。

また、他人のゴールという物差しを持ったことによって、ビジネスチャンスが見つかるという事もあるでしょう。

仮観

「すべてのものは『空』である」としてものごとを見る見方を空観と言います。それに対して、「すべてのものは『空』」であるとしても、関係性(縁起)によってそれぞれの役割があり、たとえ仮の存在であっても、その存在や現象の役割を認めて見てみようという見方が「仮観」です。

「生」と「死」の取り扱い説明書 P49   著 苫米地英人

仮観はゴール設定と似ています。ゴールを設定した瞬間にゴール達成に必要な情報が価値のある情報に変化するように、仮観によって情報の役割をしっかり認識すれば、その情報は何らかの価値を持たせることができます。

この宇宙には、一見何の価値も感じられないものが沢山あります。そんな情報を見た時は、こんなものは価値がないと決めつけるのではなく、これはなぜ存在しているのだろうかと考えてみることです。存在するものは必ず何らかの役割を持っています。何らかの役割があるということは価値を持たせることが可能だということです。

もしその役割が誰も気づいていないものであれば、それは大きなビジネスチャンスにもなり得るかもしれません。誰も価値を感じず破棄しているものにもし価値があったとしたら。それに気づいているのが自分だけだとしたら。それらをかき集めた後に、周囲に価値を伝えるだけで、それらは大きな資産に化けます。

ビジネスのような抽象度の低い例えをしましたが、仮観は二千年以上に渡って伝えられてきた先人の教えです。万人があらゆることに仮観を応用して生きてきました。

我々は何らかの役割を持つものに価値を感じられる物差しを持っています。それが仮観という物差しです。他の物差しで評価できない時は、仮観という物差しで役割を認識することで評価して見ましょう。

ゲシュタルト〜システムとしての価値〜

人の脳はバラバラの要素を一つのまとまりのある全体として捉えて、何らかの意味を持たせます。全体を単なる部分の寄せ集めとしてではなく、ひとまとまりとして捉えた姿・形態のことをゲシュタルトと言います。

ゲシュタルトの構築は、各対象の関係性に意味を持たせる仮観と同じように感じますが、仮観の発展形と言った感じです。

仮観では一対一の関係性におけるそれぞれの役割から意味を見出せますが、ゲシュタルトはもっと複雑です。無数の対象がネットワーク状に関係を持つことで初めて生みだされた意味は、ゲシュタルトの構築ができていなければ見出すことは出来ません。

ゲシュタルトの構築は仮観の一種ともいえますが、複雑度のレベルが違うので分けて考えた方が認識しやすいかと思います。

AとBの関係性からそれぞれの役割や意味を見出すのは簡単ですが、n個の対象でできた集合体が全体としてどのような意味を持つかを見極めるのは容易ではありません。

とはいうものの、人間の脳は勝手に個々の集まりである集合体に対して何らかの意味を見出してしまいます。例えば、天井のシミが人の顔に見えたりといった錯覚を起こすのは、ゲシュタルトの構築が行われているからです。

問題はゲシュタルトの構築ができないことではなく、間違った意味を持たせてゲシュタルトを構築してしまうことです。トレードをやっていると定期的に同じようなチャートの動きを観測することが出来ます。じっと観察していると”このパターンになれば上がる”といった法則が見えてくるのですが、実際に次もその法則が成り立つというわけではありません。一見バラバラの情報から法則(意味)を見出せても、その意味が実際は間違っているということが多分にあるのです。

天井のシミを心霊現象と捉えたなら”除霊師を読んでそのシミを消してもらう”という行為が正しいと感じるでしょうし、単に老朽化で雨漏りしただけと捉えたなら”屋根を直し天井を張り替える”のが正しいと感じるでしょう。どういう風にゲシュタルトを構築するかによって、集合体の捉え方が変化します。つまりゲシュタルトの構築の仕方によって物差しが変化しているということです。

作り上げたゲシュタルトに違和感を感じたら、一度バラバラにして再度構築し直してみてください。すると物差しが変化します。

単純な仮観だけでは説明のつかない価値をゲシュタルトの構築によって感じとることが出来ます。ゲシュタルトの構築によって出来上がる物差しを用いれば抽象度の高い視点による評価が可能になります。細部を理解した上で全体を俯瞰的に捉えて評価を行うため、細かい部分に捉われることなくベターな判断ができるようになるかと思います。

まとめ

五つの物差し(基準)を紹介しました。

"幸せの基準"
”ゴールという物差し”
”他人のゴールという物差し”
”仮観(役割)という物差し”
”ゲシュタルトの構築によって生まれる物差し”

たった五つの物差しですが、これらを書き換えるだけで内部表現(自分が感じている宇宙)がガラッと書き換わるかと思います。

内部表現が書き換わると、大抵の場合は連動してゴールも書き換わります。ただ生きているだけで、情報のインプットがじわじわ物差しを変化させて内部表現を書き換えていきますが、それにプラスして、直接的に物差しを書き換えていくこともやってみるとよいです。基本的に物差し(価値観)は無意識に書き換わっていくものですが、それをあえて意識的に書き換えてみましょう。

スポーツ選手が理想的な体の動きを行うために何度も反復して練習するように、日々物差しを書き換えて自我の動きをコントロールする練習をしてみることをお勧めします。難しく考える必要はありません。身体的なコントロールも精神(マインド)的なコントロールもやっていることは同じです。理想的なイメージを思い浮かべてそのイメージに近づけていくだけです。

マインド(自我、物差し)のコントロールができれば、自在にゴールも作り出せますし、スコトーマのコントロールも可能です。エフィカシーも調節できますし、ホメオスタシスが働く方向もコントロールできます。全ては連動しているので、基本的にできないことはないです。

何度も言っていますが、物差しが変化すれば、目の前の宇宙が変化します。物差し次第でこの宇宙は”美しく慈愛に満ちたもの”になりますし、”醜く残酷なもの”にもなります。

この宇宙は空です。空に良いも悪いもありません。あらゆる評価は自分が作り上げた物差しによって生まれた幻想です。その物差しは自由に書き換えが可能であるから、あらゆる評価も自由に書き換えられます。そこまでわかっているのなら、あとは自分好みの宇宙を作り上げていくだけです。