セルフコーチングとは何かと言うと、「自我を書き換えること」と言えます。というのもゴールも現状を維持させているホメオスタシス(現状のコンフォートゾーン)も、全て自我に依存しているからです。依存関係にあると言うよりは、自我もゴールもコンフォートゾーンもエフィカシーもブリーフシステム(内部表現)も…(挙げだしたらキリがない)全て同じものと言えます。同じものを視点や抽象度を変えて表現しているにすぎません。
お釈迦様が宇宙の全ては「空」であると悟ったように、セルフコーチングでやってることは全て「自我の書き換え」であると悟る(関係性を知識で理解し、体感で確信する)とセルフコーチングが簡単になります。それがわかれば、あとは「どこを変えれば、どれくらい自我が書き換わるのか?」「自我のどこをどういう風に書き換えれば、ゴール達成が容易になるか?」といったことを自我の書き換えとフィードバックを通して見つけていくだけです。(cf.参照)
cf.セルフコーチングが上手く行かない人へ(超訳コーチング理論)
どこを変えても自我は書き換わります。というよりは自我の書き換えを停止させることの方が不可能です。自我は瞬間瞬間で勝手に書き換わります。自我は常に外部情報による影響を受けます。また、内部情報(記憶などの知識)はゲシュタルト化とゲシュタルト崩壊(太陽でいうところの核融合反応と核分裂反応)を繰り返し、絶え間無く変化しています。知識のゲシュタルト化とは、複数の知識を整合性のある一つのまとまりとして捉えると言うことです。知識のゲシュタルト崩壊とは、一つに統合されていた各要素となる知識がバラバラに分解されること(矛盾が生じて統合できなくなること)を指します。
自我が常に変化しているとは言うものの、その多くは自我の抽象度の低い部分に当たるところです。分子レベルで細胞が入れ替わったり(物理的に変化しているが、機能面では変化していない)、重要性評価関数の重要度の低い価値観(信念)が書き換わったりといった程度でしょう。肉体を構成する要素の割合が大幅に変化したり(例えば体脂肪率20%の人が8%に変化したり)、重要性評価関数の重要度の高い価値観がガラッと変化したりといった変化は、なかなか起きるものではありません。
セルフコーチングは、なかなか起こり得ない自我の大きな変化を意図的に起こしていく技術です。自我を意図的に書き換えるといっても、書き換えるべき場所を理解していなければ意図的に現状を大きく変化させることはできません。自我は、自我の抽象度の高い部分に当たるところを変化させることで大きく変化させることができます。
では、「自我の抽象度の高い部分」とは何かを以下に記述していきます。これらを変化させれば劇的に現状を変化させることができます。
例1.自我の変化速度を書き換える
自我は常に変化し続けていると言う話をしました。現状のホメオスタシスは自我の変化速度が一定になるように作用します。(速度を維持することもできていない場合も多く、特に大人になるとマイナスの加速度が働き自我の変化速度がじわじわ下がりがちです。)現状から抜け出すには自我の変化速度を早める必要があります。
現状の自我が変化することで現状の外側のゴールは達成することができます。そう考えると時間あたりのゴールの達成数を自我の変化を速度として考えることができます。今現在の自我の変化速度が10[ゴール/年](一年あたり10個現状の外側のゴールを達成する)とします。もし、自我の変化速度を15[ゴール/年]に変化させた場合、現状の外側のゴールの達成数は、1年間で5個、11年間だと65個の差がつきます。
どちらも自我の変化速度に関しては現状維持している状態です。初速が違うだけで、加速度は0です。(どちらも等速直線運動をしているということ。)初速が違うだけなのですが、時間軸が加わることでゴールの総達成数は大きく違います。
とはいっても、いきなりゴールの達成速度を1.5倍にするのは難しいかと思います。それであれば、自我の変化速度に加速度を加え徐々に早めていけば良いです。自我の変化速度10[ゴール/年]は毎年一定である必要はありません。加速度を加えて常に速めていきましょう。例えば毎年「去年達成したゴール+2個」のゴールを達成するとしたら、去年10個のゴールを達成していれば次の年は11個、2年後は12個、3年後は13個…10年後は20個といった感じで増えていきます。
すると上の条件の場合、11年間で現状の外側のゴールの総達成数は、自我の変化速度10[ゴール/年]で現状維持していた場合と比べ、55個も違ってきます。(自我の変化速度5[ゴール/年]で現状維持している人が11年間で現状の外側のゴールを達成した数は110個。この人が10[ゴール/年]、毎年「去年達成したゴール+1個」のゴールを達成していった場合、10年間で現状の外側のゴールを達成した数は165個(初項10、公差1、項数11の等差数列の和として計算)となります。その差は55個。)1.1倍程度にしか自我は変化していないのですが、結果的にゴールの総達成個数は1.5倍程度になります。
あくまでも理論的な計算にすぎませんが、言いたいことは「無理に抽象度の低い部分(目先のゴール達成数)を変えなくても、抽象度の高い部分(加速度の部分)を少し変えただけで、結果(現状の外側のゴールを達成した数)は十分変わる。」ということです。
認識に上がりやすくコントロールしやすい抽象度の低い部分を大きく変化させたくなるものですが、どうせ変化させるなら抽象度の高い部分の方が無理なく大きな結果を出すことができます。ルー・タイスは「人の永続的な変化は内側から始まり外側へ広がる」と言っていました。ルーの言う「内側」とは「抽象度の高い部分(加速度の部分)」のことです。
「自我の抽象度の高い部分を変化させる」と言う意味がなんとなく理解できたかと思います。
例2.実行(決断)速度を早める
「実行(決断)速度を速める」とは、自我の変化速度を早めることにも通じます。
責任やリスクが伴う実行や決断は判断が遅れがちですが、それに限らず、どうせやると決めていることはさっさとやってしまった方が良いです。
またルーの言葉を借りますが、悩む暇があるならInvent on the way(やりながら方法を見つけること)です。
もし、FXで稼ごうと決めたのなら、本を読んだりして勉強してないで、さっさと取引口座を開設して売買することです。実行することが最も簡単に上手く行く方法を見つける手段だといえます。とりあえず実行してみてフィードバックを得ることです。勉強するのはフィードバックを得てからでも遅くはありません。
人の命がかかっている事のような一度実行すると取り返しのつかない事に関しては実行する前に十分な勉強や訓練が必要ですが、大抵のことは失敗したところでどうという事はありません。できるだけ「勉強して十分に知識を得てから実行」ではなく、「実行してフィードバックを得てから勉強」という流れに変えてください。いつも悩んでばかりで行動が遅いと言う人は、これだけで実行(決断)速度が劇的に上がります。
あまり深く考えずにやってみる。これは本当にゴールだろうか?と悩む暇があったら、とりあえず実行して確認する。色々実行しているうちに勝手に抽象度が上がってゴールが見つかったりします。迷ったらやる。もしくはやらない。やるかやらないかはどっちでもよくて、とにかくさっさと決断することに意味があります。
例3.食生活を改善する
急に抽象度が下がったように感じますが、食生活を改善すると言うのはかなり抽象度の高いアプローチです。
なぜかと言うと、脳は腸(内蔵)の命令で動いているからです。(同時に脳も腸(内蔵)に命令を行って動かしています。)そのため腸に直接的に影響を与える食事をコントロールすると言う事は、間接的に脳をコントロールすることと言えます。
日本人の殆どは糖質(炭水化物)中毒に侵されていると言われています。我々がお米や小麦、甘いお菓子を欲するのは、生まれた時から糖質を取り続けてきたからです。(因みに殆どの赤ちゃんは初めて食べるお粥の匂いや味を嫌がるようです。)厚生労働省は1日に必要なエネルギーの量の50〜65%を糖質から取ることを推奨しています。この量は医学的にみると取りすぎとのことですが、特に科学的根拠もなくこの値を推奨しているようです。
国の陰謀によって国民は糖質中毒にさせられているとまでは言いませんが、なんらかの利権によってお米などの炭水化物が進められている可能性はあるかもしれません。また、サピエンス全史でユヴァル・ノア・ハラリ博士が言っているように、「稲・小麦・ジャガイモなどによってホモ・サピエンスは家畜化された」と考えることもできます。(個人的には植物にそのような意思はないと思っていますが。)
なんにせよ、ここまで知ると、今までwant toだと思ってお米やお菓子を食べていたのに、実は他者(人以外の何かも含む)によって植えつけられたゴールであったということがわかります。もし自由意志によって糖質を欲していると思っていたのなら、それはまさに洗脳状態だと言えます。(洗脳とは洗脳されていることに気づかないからこそ洗脳なのです。)
だんだん抽象度が上がってきたかと思います。要は、自由意志でwant toだと思っていたことが、実は洗脳によって自由意志が操作された結果生み出されたwant toだとしたらヤバイじゃないかという話です。それって真のゴールとは言えないよね?ということです。
「理由なくwant toだと思っていたことが実はそうではなかった(理由があった)」と気づくと思考の抽象度が一段上がります。「理由のないwant to」とは「それをwant toを評価している物差しの存在に気付いていない」ということです。そこに理由が生まれると、このwant toと評価する物差しが認識できます。この物差しは今まで認識できていた評価関数よりも一段抽象度が高い評価関数となります。
新たに気付いた抽象度の高い評価関数によって既存の物差しを再評価することができます。この場合は、「糖質を欲するのは自由意志ではなかったけど、それでも糖質を大量に食べ続けるか否か。」という問いを持った上で、「糖質をとるという行為」を再評価できるということです。
再評価を行った上で、それでも積極的に糖質をとるという行為をwant toとして選択するなら、それはそれで良いです。中毒状態(脱洗脳状態)にある時に選択したのであれば、それは自由意志とは言い難いですが、そこまでわかっている上で行う選択なら自己責任の範囲内だと思います。逆に、もっと人間の体に合った健康的な食事をとることをwant toとするなら、その時自我は大きく変化します。
want to(もしくはhave to)を疑い、抽象度の高い評価関数によって再評価するというのは、自我の書き換えに大変有効な手法だと言えます。
少し話を戻します。上記を読んで糖質洗脳から抜け出せたと思うのですが、すぐには糖質中毒から抜け出せないかと思います。中毒とは脳の評価軸が破損している(偏っている)状態です。正常な評価軸であれば健康に害のあるものを良いものとして評価しません。評価軸が壊れていると実際に脳は、健康に害のあるものを摂取しても快楽物質を出します。壊れた評価軸を治すには多少時間がかかります。ニコチン中毒の人の脳が正常にドーパミンを出せるようになるまで、2ヶ月程度の禁煙が必要なように、糖質中毒の人の脳も正常に戻るまでは少々時間が必要です。糖質に関しても、最初の数週間は糖質制限を続けていると妙に甘いものを欲しますが、2ヶ月くらい続けているとそれほど甘いものを欲しなくなります。
一度糖質中毒は治した方が良いかと思います。人それぞれ様々なゴールを持っていると思いますが、それらの殆どは健康であることが大前提だと思います。長い人生をかけて多くのゴールを達成したいのなら第一に健康のゴールが優先されていなければならないでしょう。
自分が糖質中毒であるのなら、とりあえず治す。糖質中毒が治って、必要以上に糖質を欲する体(脳)ではなくなった時に、改めて大量の糖質を取るかどうかを考えてみたら良いかと思います。(糖質に限らず中毒性のあるもの全てに言えます。)
セルフコーチングを極めたければ中毒すらもコントロールすることです。ゴールに不要な中毒は治し、逆にゴールに向かうことを中毒にするのです。
昔、学校の先生から「パチプロのように過ごせば受験も上手くいく」と言われたことがあります。朝早くからパチンコ店の行列に並び、開店まで隣の人とパチンコの話をし、開店から閉店まで楽しく(常にドーパミンが大量に出てる状態で←重要)パチンコを打ち続ける。閉店後にコンビニでパチンコの本を買って家でその本を読んで勝つ方法を考えながら眠る。そして次の日もまたウキウキしながらパチンコ店の行列に並ぶのです。
本気でゴールに向かうとはこういう状態です。パチンコ中毒者のようにゴールに盲信する日々を過ごしましょう。かくいう私もトレード中毒だったのです。
例4.フロー状態を自在に作り出す
「フロー状態を自在に作り出せる」とは「臨場感の切り替えが自在にコントロールできる」と言うことです。(フロー状態に関する概要は以下を参照してください。)
フロー(英: Flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。ジェーン・ナカムラとチクセントミハイは、フロー体験の構成要素を6つ挙げている。
1.専念と集中、注意力の限定された分野への高度な集中。(活動に従事する人が、それに深く集中し探求する機会を持つ)
2.自己認識感覚の低下
3.活動と意識の融合
4.状況や活動を自分で制御している感覚。
5.時間感覚のゆがみ - 時間への我々の主体的な経験の変更
6.活動に本質的な価値がある、だから活動が苦にならない。(報酬系)
さらに心理学作家のケンドラチェリーは、チクセントミハイがフロー経験の一部として挙げている3つの構成要素について言及している
1.直接的で即座のフィードバック(活動の過程における成功と失敗が明確で、行動が必要に応じて調節される)
2.成功する可能性があると信じる(明確な目的, 予想と法則が認識できる)
3.経験に夢中になり、他のニーズが無視できるようになる
フローを経験するためにこれら要素のすべてが必要というわけではない。
フローと聞くと、限られた人間が使っている特殊能力のようにも感じますが、そんなに大層なものではありません。フローとは心から望む仮想現実に対して意識だけでなく細胞レベルで高い臨場感を感じていて、尚且つその仮想現実におけるwant toを実行しているというだけのことです。要は寝食を忘れてゲームに没頭する子供がやっていることと同じです。
フロー状態を作り出せないのは、単純にやりたくないことをやっているからです。当然ですがやりたくないことはやってはいけません。やりたくないことは出来るだけ生活から無くしていく努力をしましょう。
原因はそれだけではありません。他にやるべきこと(やりたいこと)があるため、集中できていないといった状態でもフロー状態が作れなくなります。時折ゴールを沢山作りすぎて集中できなくなり何も手につかなくなるということがありますが、臨場感がいろんな仮装現実に移ってしまうとフロー状態は維持できません。
期日があるものはさっさと終わらせてしまうことです。他のゴールのことは一切忘れて、まずは集中を妨げる原因となっているものを全て取り除きましょう。ゴールに集中できる状態を作ることで、フロー状態が作りやすくなります。
人生の何パーセントをフロー状態で過ごしているかによって、人のパフォーマンスは変わってきます。フロー状態を自在に作れるかどうかで人生は大きく変わってきます。本来は誰もがフロー状態を作ることができます。できないのは何かしら原因があるからです。まずはその原因を取り除くことをゴールにしてみるのもいいかもしれません。
また、フロー状態について書かれているものではありませんが、こちらの書籍を読まれると、より理解が深まるかと思います。私はフロー状態は禅の一側面であると解釈しています。つまり禅がわかればフロー状態もわかるということです。(ただしフロー状態がわかっても禅がわかるわけではない。)私自身、禅について理解できているとは思いませんし(禅について語ることすら痴がましい)、これらの本を読んだからといって禅がわかるわけではありませんが、フロー状態についてなら何となくわかった気になれます。
例5.遠くの未来の前提を書き換える
10年後、50年後、100年後、どんな未来があると思って生きていますか?
誰も未来を予知できる人なんていません。それでもわからない未来を予測して、その未来を前提に人は今この瞬間の行動・選択をします。人は自分が信じる未来から大きな影響を受けて生きています。その未来は過去の経験に基づいて作られているため、人は間接的に過去の影響を受けていることにはなるのですが、直接的な影響は自分が生み出した未来によるものです。
予測された未来は過去の経験に基づいて作られている言いましたが、その未来は一つの可能性として存在する未来にすぎず、単なる思い込みであるとも言えます。つまりその未来は全くあてにならないということです。言い換えれば、どんな未来を描こうとその人の自由だということです。(そもそも他人と同じ未来を描く方が不可能です。)
それなら、自由に自分が信じる未来を描けば良いのです。周りの意見を気にする必要はありません。誰の描く未来が正しいかなんてのは今の所誰にもわからないのだから、自分が描いた未来を信じるしかありません。
人は自分が信じている未来を前提に生きています。50年後も年金がもらえると思って生きている人もいれば、貰えないと思って生きている人もいます。日本円が今と同じように存在すると考える人もいれば、あらゆる法定通貨は消えて無くなると考える人もいます。80歳で死ぬと思っている人もいれば160歳で死ぬと考えている人もいます。
何度も言いますが、どの未来が正しいかは誰にもわかりません。確実に言えることは、人は自分が信じる未来を前提に今現在の生き方を決め、無意識にその未来に向かう選択をとるということです。つまり、来るかどうかもわからない未来が直接的に現在の自我に影響を与えているのです。
ベーシックインカムを検証する悪い実験例があります。ベーシックインカムとは、簡単に説明すると、毎月一定額のお金を国民に配る社会保障制度のことですが、この制度によって人間の生活がどの程度変化するかを予測するための実験があります。その実験とは、「被験者に対して1年間毎月一定額のお金を渡すとどういう生活をするか?を検証する」といったものです。
当然ですが、こんな実験では何も参考になる結果は得られません。「1年間お金もらい続けられる」ということと「死ぬまで生きるために必要なお金をもらい続けられる」というのでは全く前提が違うからです。1年間という期間だけみればどちらも同じ状況にあると言えますが、前提(遠い未来)が異なれば人は全く違う選択をします。おそらくこのようなベーシックインカムの実験をするくらいなら、一生働かなくても暮らしていけるくらいの遺産を相続した人がどのように生きているかを追跡調査した方が意味のあるデータが得られるでしょう。
あなたは遠い未来にどういう世界があるという前提で生きているでしょうか?その未来の前提を書き換えるだけで私たちは簡単に自我を書き換えることができます。前提としていた未来を書き換え自我が書き換わる感覚を感じてみてください。
例6.習慣を書き換える
日々の習慣が未来に与える影響は大きいです。
チリも積もれば山となります。ちょっとしたことでも、それが死ぬまで毎日繰り返される習慣だったのなら人生に与える影響は小さくはありません。
悪い習慣は取り除き、良い習慣を取り入れることです。ではその「良い・悪い」はどうやって判断するのでしょうか?
答えは「ゴール」です。ゴールに近づく習慣であれば「良い習慣」と言えます。逆にゴールから遠ざかるような習慣であれば「悪い習慣」といえます。
悪い習慣を取り除くことは当然ですが、特に意味もなく過去の惰性で続いている習慣というものもあるかと思います。過去の惰性で続いている習慣を今後もわざわざ続ける必要はありません。ゴールに関係がないのならその習慣は時間やエネルギーの無駄とも言えます。惰性で続いている習慣を取り除いた場合どうなるか?をよく吟味した上で、その習慣を続けるか、取り除くかどうかを再度検討してみてください。
習慣的に行っていることをやらなくなると、何と無く気持ちが悪い感じもあるかと思いますが、それは単に現状維持を促すホメオスタシスが働いているだけです。ゴールに不要だと感じたならガンガン習慣を変えて生きましょう。実際に習慣を変えてみて、変えない方が良かったと思ったなら戻せば良いだけです。フィードバックを取りながら自分のパフォーマンスが高まる最適な習慣を見つけてください。
例7.自己の抽象度を上げる
皮膚の表面から内側の部分を「自己」とみなすのが一般的です。その上で、「情報的な自己」というものがあります。仲間意識と言ってもいいかもしれません。人は自分以外の人間が成功することに喜びを感じたり、逆に自分以外の人間が傷つくと痛みを感じることができます。その範囲は人それぞれで、「家族や身近な人」までならそのような感情の共有が出来るという人もいれば、「全人類」に対して共有できるという人もいます。この感情を共有できる範囲の度合いのことを私は「自己の抽象度」と呼んでいます。
自己の抽象度が書き換わると、自我の評価関数全てに影響を与えます。というのも自己の抽象度が書き換わるとゴールそのものが再評価させられるからです。自己のwant toの集合体がゴールです。その自己が書き換わるのだから当然ゴールも変化します。
自己の抽象度が「自分一人」の場合と、「自分とその家族」の場合とでは対象の評価が大きく変わります。ある対象の評価を数値で表して考えて見ましょう。自分一人のことだけを考えていた時、対象Aの評価は3ポイント、対象Bの評価は5ポイントだとします。自我の抽象度が上がって、家族の視点が入ると評価は変わってきます。家族が対象Aを5ポイント、対象Bを2ポイントと評価した場合、それぞれの合計ポイントは対象Aが8ポイント、対象Bが7ポイントとなります。
自己の抽象度が「自分一人」の時は対象Bの方が評価が高かったのですが、自己の抽象度が上がって「自分とその家族」という状態になった時は、対象Aの方が評価が高くなります。
評価が変わったということは重要性評価関数が変化したということです。つまり、自我が変化したとも言えます。
時折、自己の抽象度が上がることで、エフィカシーが下がる人がいます。「家族がいるから挑戦できない」といった言い訳が最たるものです。「家族を困らせる訳にはいかない」というのなら理解できるのですが「家族がいるから挑戦できない」というのは気のせいです。現状から抜け出したくない理由(エフィカシーが下がった原因)を自分以外の何かに押し付けているだけです。本気で探せば家族を困らせることなく、様々なことに挑戦する方法はいくらでもあるはずです。(言葉は正しく使いましょう。「家族がいるから挑戦できない」と「家族を困らせる訳にはいかない」は全く意味が異なります。)
自己の抽象度を上げる際は、同時にエフィカシーも上げるようにしてください。するとより素敵なゴールに更新されるはずです。
例8.外部環境をコントロールする
どんな環境下にいるかで、自我は変化します。外部情報と内部情報の相互フィードバックは宇宙全体を形作るダイナミックなホメオスタシスによって生じています。我々が持つホメオスタシスは宇宙の一部にすぎません。人間と宇宙の関係は、赤血球と人間の関係のようなものです。人間の状態が変化すれば赤血球の動きが変化するように、宇宙が変化すれば人間の思考や行動は変化します。(イメージとしては漫画「はたらく細胞」のような感じ。)
ここで言う宇宙とは内部表現のことを言います。内部表現とは自分が認識している世界(情報)のことです。みんな同じ物理宇宙に存在しているとしても、それぞれの内部表現は違います。人は皆別々の宇宙を見ている(感じている)と言うことです。そして脳は物理宇宙でもなければ、他人の内部表現(他人が認識している世界)でもなく、自分の内部表現を基にダイナミックなホメオスタシスを働かせます。
あなたの内部表現はどんな宇宙でしょうか?もし、そこら中にドリームキラー(エフィカシーやゴールの臨場感を下げる存在)がいたり、扁桃体が活発になる情報(怒りや不安・恐怖などを誘発する情報)が頻繁に飛び込んでくるような環境であれば、あまり良い内部表現とは言えません。
ドリームサポーターに囲まれて、日々心穏やかに生活できる環境でなければ何かおかしことが起きていると言えます。と言うよりはおかしいと思わなければいけません。ドリームキラーだらけの世界を「世界とはそう言うものだ」「仕方がない」と受け入れてはいけません。はっきりとした不満を持って現状の世界に"NO"を突きつけるのです。
負の螺旋階段を転げ落ちるような世界に居座ってはいけません。その世界から抜け出し、正のスパイラルに乗って生きて行くことです。良い環境作りを試みてください。同じゴールでも環境が良くなれば難易度がグンと下がります。ゴールに向かう際、環境の改善とセットに取り組むことをお勧めします。
例9.直感を信じる
「確証はないけどなんとなくそんな気がする」といったいわゆる「直感」の力を侮ってはいけません。
人は、判断に必要な情報が足りない時に、無意識に過去の膨大な量の記憶(DNAに記録されている情報も含む)を用いて最適解を導きます。そのような情報処理によって導かれた解を感じ取る感覚のことを「直感」と言います。
意識による判断は、判断に必要な情報が揃っている時に限ります。判断に必要な情報を手に入れることが可能であるなら、直感に頼る必要はありませんが、そうでないのならやはり直感に頼った判断が必要になります。(ビジネス(お金)と直感に関する記事は以下を参照。)
特に、人やコミュニティとなんらかの関係を持つときは直感を大事にすることです。「なんとなくこの人は嫌な感じがする」「この場はなんだか居心地が悪い」といった全く根拠のない直感を誰もが感じたことがあるかと思います。単に現状を維持するためのホメオスタシスによる場合もあるのですが、しっかりゴール設定ができているのだとしたら、それらは「ゴールに不要」もしくは「ゴールから遠ざける危険性があるもの」と考えられます。
マイナスの直感が働いた時は、わざわざ関係を持つ必要はありません。時間は有限です。直感を信じて関係を断つべきです。その代わりにプラスの直感が働くことに対して積極的に時間を費やしましょう。
プラスの直感が働くと言うことは、ゴール達成に近づく突破口がそこにある可能性が高いと言うことです。そこに近づくのに根拠は不要です。とりあえずチャレンジしてみると、なぜプラスの直感が働いたのかがわかるはずです。それを続けるかどうかはプラスの直感が働いた理由がわかった後で判断すれば良いだけです。
プラスの直感が働いたらとりあえずチャレンジする。チャレンジするかしないかで悩む必要はありません。悩む時は続けるかどうかを考える時だけです。やるのは大前提です。議論の余地はありません。
例10.意識(思考)をコントロールする
セルフコーチングを行う時は常に意識(思考)をコントロールしなければいけません。
人はフロー状態にない時は、目の前のこととは関係のないなんらかの考え事をしながら生きているものです。シャワーを浴びている時、食事をとっている時、仕事をしている時、眠りに着く時、など、いつも何を考えているでしょうか?
セルフコーチングを実践しているのなら、100%ゴールのことだけを考えていなければいけません。それ以外のことを考えしまっていたのなら、すぐ意識をゴールに移してください。
特に、過去の過ちや、嫌なこと、腹立たしいことなどを思い出したりしているとエフィカシーが下がる原因にもなります。なぜ急にこんな記憶が出てきたのか?と俯瞰的に観察して原因を突き止めたりするのは構いません。それは無意識が意識に与えている影響を把握することにつながるからです。そういった少し抽象度の高い視点で高度な思考をしている場合は例外ですが、基本的にゴールに関係のない思考はすぐに止めるべきです。
「10000時間の法則」(一定の能力の獲得や成果にとどまらず、いわゆる超一流、天才と呼ばれるレベルに達するには、10,000時間を費やす必要があるというもの)は物理的な行為だけでなく、抽象的な思考にも当てはめることができます。もちろん行為と思考の両方が伴っている方が良いのですが、思考だけでも十分意味があります。
パチプロはパチンコをやっている時だけでなく、パチンコをやっていないときでも思考をパチンコに費やします。同じように、ゴールに向かっていないときでも、思考はゴールに費やすことです。
思考だけなら、なかなか時間が取れないといった言い訳もできません。あとはやるかやらないかです。思考は実現します。ゴールについて思考しないのであれば違うことが実現するだけです。ゴールについて思考していればそのうちそのゴールは達成されます。
例11.アンカーを書き換える
アンカーとは、記憶の中に植え付けられている「錨(いかり)」のようなものです。トリガー(引き金)と呼ばれる特定の条件が加わると、アンカーが表に出てきます。
例えば、自分の発言を否定されるとすぐに、怒りのような感情が湧いてしまって議論にならない人がいますが、そのような人は「否定される」と言うトリガーによって、「怒り」と言うアンカーが引き上げられるように無意識に設定されています。
こういった無意識の反応に対して「私は怒りっぽい性格だから仕方がない」と諦めてはいけません。アンカーは自我を維持させようとする強烈なホメオスタシスですが簡単に書き換えることができます。
アンカーを書き換える方法は「ただ認識に上げるだけ」です。だから「私は怒りっぽい性格だ」と言う風に認識に上がっているのなら、アンカーの書き換えは簡単です。あとは抽象度を上げて自分の性格を観察するだけです。抽象度を上げるコツは「なぜ?」と問うことです。「なぜ私はすぐに怒りを感じてしまうのか?」と問うだけで抽象度の高い視点で自分の性格を観察していることになります。
もし、その問いによって「議論中に否定されると怒りが湧き出てくるのは、意見ではなく自分が否定されていると勘違いしていたからだ」と気づけたなら、その瞬間からアンカーが揺らぎます。アンカーは長い無意識に染み付いているものなので、完全に書き換わるまでは少し時間が必要ですが、アンカーが怒りの情動を引き上げるたびに「このアンカーは間違っている」と否定していれば、そのうち間違ったアンカーは出てこなくなります。
アンカーの書き換えは、すでに認識に上がっていれば簡単なのですが、認識に上がっていないアンカーは書き換えるのに一手間必要です。「私は怒りっぽい性格だ」といった感じで認識に上がっているのではなく、怒りの感情に支配されていることにすら気づいていないと言う場合、書き換えるアンカーが無いと言うことになります。気づいていないのだから存在していないのと同じです。存在していないものをコントロールすることはできません。
認識に上がっていないアンカーを見つける方法は「自分を知ること」です。外部情報が自分という関数に入力されたとき、その情報はどのように変換されて、どのように情報を出力しているか?を徹底的に観察することです。
自分そのものは関数であるため直接的な観察はできないのですが、入力される情報と出力される情報は観察可能です。入力と出力の関係から間接的に自分(関数)を知ることができます。例えば、入力をx、出力をf(x)としたときf(1)=2、f(2)=4、f(3)=6、であるなら、自分(関数f)はf(x):=2x(x∈{1,2,3})とわかります。(「:=」とは「左辺を右辺と定義する」と言う意味。)多くの場合、xの値が1,2,3以外の場合もf(x)=2xが成り立つと考えて、自分の性格をf(x):=2x(x∈R(実数))と仮定して行動・選択を行います。(f(x)=2xは(x∈{1,2,3})でも成り立ったのだから、xがその先の数字「4、5、6…」とどんな数であっても成り立つだろうと安易に仮定してしまうということ。実際にxの値がどんな数でも仮定した関数が成り立つかどうかはわからない。)
仮定的に定義された性格が必ずしも合っているとは言えませんが、自分がそういう性格だと確信しているならそういう性格になるようにホメオスタシスが働きます。具体的に関数が定義されれば、それはアンカーが認識に上がっていることと同じです。関数を書き換えればアンカーも書き換わります。
アンカーは自我の一部です。アンカーを書き換えれば自我が書き換わるのは当然と言えます。アンカーを書き換えていくと自我がどんどん変わっていく感覚がわかるのでとても楽しく取り組むことができます。
余談ですが、自分を知ることをヨーガと言ったりもします。自分を知る方法がよくわからない場合はヨーガを始めてみると言うのも一つの手段としてありだと思います。
例12.知るだけで満足してしまう状態から卒業する
インターネットが普及した結果、日々情報そのものの価値が下がってきています。あらゆる知識はスマホ一台で検索可能です。もちろん、インターネットでは手に入らない情報もありますが、勉強の仕方から、お金の稼ぎ方やセルフコーチングのやり方など、多くの情報は検索すれば無料で手に入れられるのが今の時代です。
いまの時代は「知っているか?知らないか?」ではなく、「できるか?できないか?」で大きく差がつきます。(昔もそうだったと思いますが、情報伝達が容易になったことでより顕著になってきているといえます。)方法を知っていても「できない・やらない」のであれば、それは知らないのと一緒です。一緒というのは差がないということ。ネットで調べれば手に入る情報を知っていても、その情報を知らない人との差はほとんど生まれないのです。(ゴールは本来他人と比較するものではないので「差がつく」といった表現はナンセンスですが、わかりやすさを優先して敢えてこのように表現しています。)
もちろん、知らないとやりようがないので、知る必要はあります。知識を手に入れるということはとても大事なことです。何がダメかというと情報を「知るために知る」というスタンスです。情報は「知るために知る」のではなく「何かをやるために知る」べきです。なんらかの目的に向かう行動を実行するために情報が必要なのです。
知っているのにできないという状態に悔しさや違和感を感じるくらいが丁度いいです。成功していない(セルフコーチングができていない)コーチがコーチング理論を語っていても滑稽に見えるかと思います。それは単に知っているだけという状態は異常なことだからです。他人を見ていると他人の知っているのにできていないという状態に「何かおかしい」と違和感を感じられるかと思います。他人を見るように自分のことも観察してみましょう。もし、知るだけで満足している自分がいた場合、他人に感じた時と同じように違和感を感じてください。
自分を観察した時に生じる悔しさや違和感をマイナスに感じる必要はありません。ここで言う悔しさや違和感とは「いまの状態を自分らしくないと感じる」ということです。「理解したものはできて当たり前」というセルフイメージがあるからこそ、知っていてできないという状態に悔しさや違和感を感じられるのです。悔しいという感情が生じるのは高いエフィカシーが備わっている証拠です。
知ってしまった以上は、それが自分のゴールにとって望ましいものであるならやるしかありません。というよりはやりたいと思うはずです。やりたいけど、初めの一歩が踏み出せないということもあるかと思います。そういう時はちょこっとエフィカシーを上げてみてください。エフィカシーが備われば自然と体が動いてしまうはずです。
何も難しいことはありません。やるかやらないかだけです。やればできますし、やらなければできません。情報が簡単に手に入る今の日本人は本当に幸福な人類です。時間が足りなければ時間を作る方法を誰かが教えてくれます。文字が読めなければその言語を学ぶ方法を教えてくれます。やらない理由はゴール次第でいくらでも出てきますが、できない理由は殆どなくなってしまいました。できない言い訳を作りたくても残念ながら大抵のことはできてしまいます。それなら余計なことは考えないでやりたいことはやる。単純明快です。
まとめ
「自我の抽象度の高い部分」の例を12個ほど挙げました。正直挙げればキリがありません。色んな例を通して「自我の書き換えとはどういうものか」がぼんやりとでも理解できれば良いかと思います。
例で上げたことはどれも重要なことだと思っていますが、自分のペースで気になったものから順に一つ一つ実践してみれば良いかと思います。また、例に挙げたこと以外に、自分自身の変えるべきポイントが見つかった人もいるかと思います。ここに書かれているかどうかは関係なく、自分が強く感じたものはおそらく間違いではありません。勇気を持ってその部分を書き換えてみることをお勧めします。
何度も何度も意識的に自我を書き換えてフィードバックをとる。そういった人体実験を繰り返していくうちに自ずとセルフコーチングが上手になってきます。人体実験を楽しみながらゴールに向かってみてください。気づいた時にはいくつものゴールを達成していることでしょう。