SNSなどを見ていると、自分の正義を振りかざして他者を批判するような投稿が多数見られます。それ自体はテレビのワイドショーで芸能人のゴシップニュースを見て一生懸命文句を言うことと大して変わりはありません。

ただ、自宅でテレビに向かって文句を言うのと違って、SNSで行われる批判は直接他者を傷つける場合もあれば、社会的に影響を及ぼす場合もあります。

人は自分が定めた"正義"を基準に表現を行います。その表現によって他者を傷つけようが、社会に悪影響を与えようが、表現した当事者にとっては"正義"の名の下に行われた善行です。客観的には悪意に満ちた行いに見えても、当事者に「悪気はない」というなんとも始末の悪い性質を持っています。

純粋に悪い人間なんてのは存在しません。それぞれが、それぞれの"正義"に従って生きているだけであって、"悪"とはただの幻想なのです。自分の"正義"に矛盾しているものを"悪"と定義しているにすぎません。

正義同士の対立によって矛盾は生まれます。そういった矛盾を解消するためには、どちらか一方を"悪"に仕立て上げがちです。遥か昔から人間は自らを"正義"とし、対立するものを"悪"と考えて排除し続けました。そういった歴史が"悪"の必要性を物語っています。これからも私たち人間は"悪"と共存して行くことになるでしょう。

"悪"が必要な理由


人間は多くの矛盾を"法律"を用いて解決してきました。

法律を設ければ、矛盾を簡単に二分することができます。法律を違反すれば違法となり、それ以外は合法となります。法律の下に矛盾は分解され、"善"と"悪"が生み出されるのです。

とは言うものの、法律はできるだけないに越した事はありません。法律の数だけ"悪"が生まれるからです。法律がなくフラットな状態であれば、善悪の区分はありません。しかし現状では、集団の秩序を保つために法律のような共通ルールが必要不可欠です。宗教や武士道といった共通観念を持っている人が減ってきた中では尚更です。

"悪"が必要な理由は、ある程度の規模の集団生活には法律が必要だからです。"悪"が法律を作っているのではなく法律が"悪"を作り出します。この因果関係を間違えてはいけません。

"悪"を滅ぼしたければ法律をなくす事です。法律を無くしたければ、法律のいらない社会を作るしかありません。現状、法律がなければ社会の秩序が保たれない以上、"悪"はなくならないのです。

"悪"はなくならないとはいえ、"悪人"はなくせます。(ここで言う"悪人"とは法律違反を犯した者をさします。真に悪い人を指しているわけではありません。)

現時点で一度も適用されたことのない罪名があります。これはつまり、法が存在し、罪("悪")に当たる行いはあるのにそれを実行した"悪人"はいないという事です。"悪"という概念は法律が無くならない限りなくす事はできないのですが、”悪”と言う概念の存在が必ずしも"悪人"を作り出すわけではないのです。

自分で作った法を勝手に相手に課しているということを自覚する


人は無意識に"法"を作り出します。ここでいう"法"とは、法律だけでなくルールや常識なども含みます。「空気を読む」などといったときに使われる"空気"もまた"法"です。

これらの"法"を破った人は、「ルール違反だ」「常識の無い奴だ」「空気を読んで行動しろ」などと言われて悪人扱いされます。

集団や組織の人間関係を円滑にするために、マナーや倫理観といった"法"は必要でしょう。また、空気・ノリ・間といった、言語化の難しい”法”も円滑なコミュニケーションを行うにあたっては必要です。

私たちは複数人で場を共有するとき、必ずなんらかの"法"を自らに課します。その際、法律のように"いちいち明文化して定めた法"というのは稀です。ほとんどの場合は個々がなんとなくの感覚で"法"を定めて、その"法"から逸脱しないような行動・選択を行います。

そのとき、複数人の人間が自分に課していた法を場を共有している自分以外の人間にまで課してしまうと、複数の法がぶつかり合って矛盾が生まれます。

"法"を他人に課してはいけないというわけではありません。問題は"法"を課した相手がその"法"を破ったときに、自分がどのような反応をするか?です。

当然ですが、自分が勝手に課した"法"を相手が破ったからといって怒ってはいけません。また、自分の"法"と矛盾が生じている相手の"法"を"悪法"と決めつけるのも良くありません。

自分で作った"法"を勝手に相手に課して、相手がその"法"を守ってくれることを期待したり信頼するまでは良いです。ただ、"法"を守ってくれなかった時に、失望したり怒りを感じたりするのが良くないのです。

「あくまでもこの"法"は自分が勝手に相手に課した法である」と言うことを自覚できて初めて、コミュニケーションのスタートラインに立つことができます。

気にくわない"法"から距離をおく

互いの"法"がぶつかり合って、どちらも譲ることができない状況になった時、まず取るべき選択は「その相手と距離をおく」という選択です。

互いの"法"の矛盾し合ってる部分が干渉し合わない距離まで離れ、適度な距離感で関係を保てば良いだけです。

残念ながら子供のうちは他人と適度な距離を保つということができない場合が多いです。子供の場合、家族、学校、習い事など距離を取りたい集団から距離をとるには親の許可が必要だからです。

ですが大人の場合は基本的にどんな集団からも距離をとることができます。そしてコミットしたい集団や個人とだけ関係を持つことができます。また、「交渉と契約」によって、コミットしたい集団や個人が持っている"法"を自分好みに変化させる事も可能です。(もちろん、相手がその交渉を断れば"法"の変化は実現しませんが、相手が良い提案と感じられれば快く受け入れてくれるはずです。)

他人の"法"が気にくわないなら、まずは距離をおき逃げる。逃げないのなら、「交渉と契約」によって矛盾を解決しましょう。

お互いに今の位置に執着していて、かつ、交渉が難航している場合

今の場所に執着しているために、自ら身を引き相手との距離を作れない(相手から逃げられない)と言う場合もあります。それに加えて交渉も難航し、常にいがみ合っている状態が続いている場合はどうしたら良いでしょうか?

こう言う状況にある時、相手の"法"を"悪法"として定め、武力・権力・圧力といった力技で相手を排除してしまうのが簡単な方法ですが、それをやめようと言っているのがこの記事の主張です。

しかしながら、この状況に陥った場合の対処法はありません。もし対処法が存在しているのなら、戦争もなければなんらかの圧力によって潰されるといったこともなくなっているでしょう。

とはいえ、このような状況に陥らないように未然に防ぐことは可能です。狂犬病が発症すれば100%死にますが、それなら発症しないように予防すれば良いという考えと同じです。「無理なものは無理と諦めつつ、無理な状態に陥らないように全力で予防すれば良い」と考えることです。

この世界には解決できない問題が幾らでもあります。解決できない問題にいつまでも執着している暇があったら、別のことに時間を使いましょう。多くの場合は、問題そのものは解決できなくても、問題そのものに出くわさないように予防することは可能です。

争いの火種が生まれてしまった時点で、負けを認めて次へ進みましょう。切り替えが早いほど時間が手に入ります。その時間は新たな争いの火種が生まれないように予防に務める時間にあてられます。

去る者は追わず来るものは拒まず

新たな争いの火種が生まれないように予防するには、あるスタンスを確立する必要があります。

それは、「去る者は追わず、来るものは拒まず」というスタンスです。

これはつまり、自分の"法"を相手が守らない場合は距離をとるが、守ってくれる相手とは距離を縮めるということです。

私自身、そういうスタンスで生きていくことができています。例えばパーソナルコーチングの契約をみるとわかりやすいかと思います。私は、「私が作ったルール("法")を守ることに同意し、契約をしてくれるのならパーソナルコーチングを行います。」というスタンスでパーソナルコーチングを提供しています。契約の際にクライアントさんから交渉があり、納得の行くものであればルールの変更はありますが、なんにせよ私が作った"法"を守れる人だけが、私と接触できるという状態になっています。

非常に傲慢なスタンスに感じますが、こういったスタンスを作ることで、争いの火種が生まれるのを未然に防ぐことができるのです。

契約はビジネスの基本なので誰もがやっていることですが、それを応用できている人はあまり見かけません。ビジネス現場だけでなく、個人の私生活レベルでも活用すると争い事とは無縁の生活を送ることができます。

自分にとって重要度の低いことまで契約を活用する必要はありませんが、どうしても引けないものに対しては争いが起きないように予め契約による予防を行いましょう。

まとめ

まずやることは、自分自身がどんな”法”を設定しているかをはっきり理解することです。自分を理解できていなければ、相手との距離感を測ることができないからです。

特に無意識に設定してしまっている"法"は、自分自身では気づけていない場合が多いです。

無意識に設定されている"法"を知るには、まず、日々感じているネガティブな感情を観察する必要があります。「どんな時に怒りを感じるか?」「どういう時にやる気を失うか?」など、心を削る引き金となる出来事を観察すると、無意識に設定されている"法"を推測できます。

自分がどんな"法"を設定しているかを理解したら、相手の"法"に応じて保つ距離を決めるだけです。相手の "法"を見極めるのが難しい場合は無理に自分から距離を詰めるのではなく、相手に距離を詰めてもらいましょう。

相手に距離を詰めてもらうには、自分の"法"を相手に知ってもらえば良いだけです。「ここまでなら距離を詰めて良いよ」という距離感のラインを他人が見てもわかるように引いておけば、勝手にそのラインまで距離を詰めてきてくれます。

人はわからないものに対して、興味と危険を感じる生き物です。どこまで自分に近づいて良いかわからないと、他人はできるだけ距離をとって遠くから眺めるだけです。自分に共感してくれた人が安心して近づけるように距離感のラインを明示しておきましょう。

これができれば、平穏な人間関係を維持しながら無理なく人との繋がりを増やして行くことができます。人との繋がりを増やすためにわざわざ自分からコミットする必要はありません。自分のことを発信して待っていれば、自分と良好な関係を築ける然るべき相手は自然と集まってくるものです。

みんなが、争いを生む関係を作るのを辞めるだけで、不要な争いが激減するでしょう。