人間は前頭前野の発達によって仮想空間での思考が可能になり、仮想空間上で他の生物が恐怖や欲望による選択を行うことを予測し、その予測をもとに様々な動物を捕食していました。


さらに人間同士の争いによって、仮想空間上で互いの選択を何重にも読み合うようになりました。将棋の棋士が何十手先の互いの駒の動きを予想した上で今この瞬間の一手を決めるように、あらゆる競争の場で人間は仮想空間上で先読みをして今この瞬間の選択を行っています。「より遠くの未来を正確に先読みし相手の裏をかくことできた人」が戦争で勝利し、スポーツやビジネスなどあらゆるシーンで活躍してきました。


そして現在、未だにより遠くの未来を正確に先読みできた人が大きな権力を握っています。長い生物同士の競争が終わりを迎える日まで、未来の先読みは無限に続くことでしょう。これから高性能な先読みができる人工知能が作られ、それを使いこなす人間同士の戦いになるとさらに未来の先読みが困難になるかと思います。

しかしながら、競争社会が縮小していく兆しをわずかながらに感じられます。「“競争”ではなく“共生”によって生命は命を繋いでいる」という説が多く見受けられるようになりました。また、一つの価値観の中で競争することに疲れたためか、多様な価値観を尊重するようになりつつもあります。

人類社会が「競争に勝った者が評価される社会」から変化し始めているのは確かです。「恐怖」と言った感情が単なる娯楽(ホラー映画やバンジージャンプ等)になってしまったように、「競争」も単なる娯楽(スポーツや研究等)へと変わることでしょう。すでに、そういう風に捉えて生きている人が少なからずいます。この考えがスタンダードになる未来もそう遠くはないはずです。

競争が不要になった時に社会に残るもの

今の社会は「競争に勝った者が評価される社会」であると同時に「周囲に恩恵を与える者が評価される社会」でもあります。

とは言え、残念ながら周囲に恩恵を与える度合いが大きくても競争に負けてしまえば淘汰されてしまうのが今の時代です。本当に良いものを提供していても、広告や宣伝が上手ければ品質の悪いものを提供している方が高い評価を受けたりします。

簡単に言えば、上手く周りを騙している方を大衆は認める傾向にあるということです。“騙す”という行為は弱肉強食の生存競争で人類が高度に発展させてきた生存手段です。外敵や捕食対象を騙すのは有効的ですが、人間同士で騙し合ってしまっているのが現状です。

今だに「他人に騙される側ではなく他人を騙す側になろう」と必死に努力している人が沢山います。自己防衛として他人に騙されないことは大事ですが、騙す側になろうとすることは「周囲に恩恵を与える者が評価される社会」においては真逆のマイナスの評価を受けることになります。周りの評価云々ではなく「人として利己的に他人を騙して陥れるのはいけない」という信念を曲げてしまうことも問題なのですが、騙す側に回った方が得に感じさせてしまう今の社会の方が問題があります。

なぜそういう社会になっているのかというと、理由は二つあります。一つは「騙されやすい人が大多数を占めているから」です。もう一つの理由は「多数が良いと評価するものが“全体としての良いもの”として判断されるから(多数決が正しい文化だから)」です。

誰も他人を騙したいとは思っていないはずです。でも、社会が上手に騙している人を高く評価し、それ以外を低く評価してしまうのであれば、社会としては上手に騙せた人が正しいという評価になってしまうわけです。それが、たとえ人類全体としては間違っていたとしてもです。(私は性善説派ではありません。強いていうならホメオスタシス派です。善悪問わず人間は、ただただ確信している未来に近づくだけと考えています。やりたくない(悪い)とは思っていても、それを実行している未来の臨場感が高ければ悪いと思っていることも実行してしまうのが人間なのだと思います。)

とは言え、悲観する必要はありません。おそらく「競争に勝った者が評価される社会」は縮小していきます。肌感覚ですが、社会は二極化しています。どのように二極化しているかというと「互いに騙し合っている集団」と「互いに恩恵を与え合っている集団」です。

互いに騙し合っている集団は、下から搾取する構造になっているため、上の人間は肥えますが、集団としてはどんどん縮小していきます。そのため、絶えず情報リテラシーの低い人を誘惑して集団に補充し続けなければいけません。しかしながら、近年人々のネットリテラシーが上がってきている中では、養分となる人間を補充するのも容易ではなくなってきているはずです。いずれにしろ持続性のない集団であるのは確かであり、そのうち自然消滅するのは明らかです。

徐々に「競争に勝った者が評価される社会」が薄れていき、必然的に「周囲に恩恵を与える者が評価される社会」が繁栄すると考えられます。

現時点では競争に勝つことは大きな利益になりますが、未来を見越して行動・選択するなら「他人に勝つにはどうしたら良いか?」(競争で勝つ方法)ではなく「他人のためになることをするにはどうしたら良いか?」(共生する方法)を徹底的に模索した方が良いです。いつまでも“競争”の評価軸に囚われているとポジション争いに疲弊する未来になるかと思います。これからの時代を考えると、“共生”の評価軸にフルベットした方が良いでしょう。可能なら今すぐ競争社会から離脱することをお勧めします。

共生社会も金融システムの中にいる限り搾取される対象にすぎない

日本人は日銀(日本国)の奴隷である。日本国はアメリカの奴隷であり、アメリカ人はFRB(アメリカの中央銀行)の奴隷だ。そしてFRBはBIS(国際決済銀行)の奴隷であり、BISはロスチャイルド系の…と続きます。(この先は申し訳ないですが勉強不足(というか情報に対して確証が持てない)です。金融ピラミッドのトップにいるのが世界の大富豪がお金を預けているスイス銀行であり、永世中立国であるスイスであるという都市伝説的な話もありますが定かではありません。)

ここで言う奴隷という言葉の意味は「膨大な金利を支払わされ、搾取されいる」「通貨発行権や自己資本比率のコントロール権を握られている」といった状態を表します。平たく大雑把に言えば、ピラミッドのトップから無理やりお金を貸し付けられて、金利の支払いを強要させられている状態が連鎖していると考えれば良いです。

金融システムのピラミッド構造はネズミ講(ネットワークビジネスも含む)と基本的には同じ構造をしています。つまり、金融システムの中にいるということは「互いに騙しあっている集団」に属しているということです。しかも、大多数はその集団における搾取される側(騙される側)にいることになります。金融ピラミッドの低層階に日本が位置しているということは、日本円を使っている限り搾取され続けているということです。もちろん日本人の下にも奴隷がいて、日本人の豊かな生活を維持させるために搾取されている人種がいるのも確かです。

まず、自分自身が金融システムにおける奴隷(奴隷の奴隷の・・・奴隷)であるということを認めましょう。その上で、自分の下にさらに奴隷がいることも認めましょう。これは奴隷としての劣等感を抑えるために優越感を感じよう(自分よりもっと下がいるから良いと安心するため)ということではなく、単なる事実として認識しておく必要があるということです。

これから“共生社会”の時代が訪れますが、しばらくの間は“見せかけの共生社会”が続くでしょう。金融ピラミッドの底層から中層あたりに属する集団から“共生社会”が始まるかと思いますが、お金を使っている限りは金融システムにおける“競争社会”の弱者に属してしまいます。

自分自身が金利を利用したお金儲けをしていなくても、国に税金を収めた時点で“競争社会”での搾取される対象となってしまいます。税金システムが悪いというわけではありません。税金システムを利用して国民から徴収したお金の一部を金利の支払いにあてているという状態に問題があります。国民の利益のために使われるべきお金が、国民とは関係のない金融システムの上層にいる人たちに流れていることが問題なのです。

この状態が続く限り、“共生社会”はいつまで経っても“見せかけの共生社会”となってしまいます。金利という概念が社会から取り除かれるまでは“真の共生社会”は生まれません。金利のない社会を実現するために作られた新たな概念がビットコインでしたが、ビットコインによる売買や保有に税金がかかる事になった今となっては、ビットコインは金融システムの中に組み込まれたのも同然です。個人的にはビットコインに期待はしているものの、現状では既存の金融システムを根本から破壊する目処が経っているとは言えないと思っています。現状の金融システムを破壊するにはまだまだ別のピースが必要だということです。ビットコインはそれらのピースのうちの一つに過ぎないという感じでしょう。

何にせよ、まだ、しばらくの間は金融システムにおける奴隷として搾取され続けることになります。現状の社会構造を理解した上でどういう選択を行うかはそれぞれが決めることです。金利の奴隷としてどう生きるかを目を逸らさずに考えましょう。一番怖いのは自分自身が奴隷であるということに気づいていない(気づかないふりをしている)ことです。

“見せかけの共生社会”でどう生きるか

“見せかけの共生社会”で我々一人一人はどのように振る舞って行けば良いでしょうか?

まず“見せかけの共生社会”で生きていく上で気をつけるべきことは、できるだけ搾取されないように生きることです。金融システムの中にいる限り、完全に搾取から逃れるのは限りなく難しいです。ですが、金利による搾取を最低限に抑えることは可能です。単純ですができるだけ借り入れ(借金)をしないこと。そしてできるだけ節税することです。

節税といっても、利益を抑えるために経費を増やすといったことだけではありません。それは単なる法人税や事業所得税の話。ここでいう節税とは消費税や相続税などあらゆる税を含みます。価値を交換する時にお金を介在させれば消費税を納めなければいけませんが、物々交換であればその必要はありません。(ものによっては譲渡所得税がかかりますが基本的には無税です。)この場合消費税の節税ができていると考えられます。

税金は沢山納めた方が良いという考えは間違いです。個々が沢山価値を生み出して沢山稼いだ方が良いとは思いますが、国より上手くお金を使う自信があるなら税金は低ければ低いほど良いに決まっています。さらに前述した通り、国は税金の一部を搾取されているのだから、その搾取の量を減らすためにも納める税金は少ない方が良いでしょう。

次に搾取の連鎖を断ち切ることです。搾取の連鎖を断ち切るとはいうものの、例外的に搾取する側になるのはありです。ただしその道は騙し合いの道です。屍を踏みつけて登り続ける覚悟が必要です。個人的には“騙される覚悟”が有る者同士で“騙し合う”のは問題ないと思っています。スポーツと同じで、お互い合意のルールが決まっていればルールの範囲内なら何をやっても良いと言えます。(見世物として観客を楽しませるためにやっているのであれば、また別な話かもしれませんが。)ただし、“騙される覚悟”のない者をカモにするために誘惑し、騙し合いの集団に引き込んで騙すということは一方的な搾取です。たとえ仮にそれが合法だったとしてもやるべきではありません。

例えば、自身の昇給や出世のために高確率で損するとわかっている金融商品を、不安や期待を煽るなどして、情報弱者の若者や老人に売りつけるような行為は卑劣で恥じるべき行為です。その際たる例が銀行なわけですが、銀行は金利を利用して搾取するだけでなく、そういった金融商品の販売も生業としてます。たちが悪いのはそこで働いている人間の多くが悪いことをしている自覚がなく働いていることです。なぜならそれらの行為は合法であり、かつ、大衆の多くが銀行員という職業のことを「賢くて魅力的なものである」という幻想を抱いているからです。(批判は覚悟の上の発言です。)

投資家同士(騙し合う覚悟のある者同士)で金融商品を介して搾取し合うのなら、そこで循環するわけですから搾取の連鎖は生まれません。ただしその騙し合いの世界に無知な素人を呼び込んでしまうと、搾取の連鎖が生まれます。最近の政府はどうも大衆の不安を煽ったりして(老後貯金2000万円問題など)、株式投資の世界に素人を呼び込もうとしているように見えます。日銀の買い支えによって無理やり高値を維持させられている株を国民に買わせて、自分たちは売り抜けようという魂胆もあるのかもしれません。(あくまでも個人的な感想です。根拠は一切ありません。株価なんてのはどのようにも変化します。)どんな理由があれ、もしそうであるなら、国に勧められて株を買っている国民が不憫でならないですが、そうでないことを願うばかりです。

“できるだけ搾取されないこと”そして“搾取の連鎖を断ち切ること”は大前提として、一番努めるこべきことは“共生すること”です。

これからの社会が“見せかけの共生社会”だとしても「他人のためになることをするにはどうしたら良いか?」と社会と共生する方法を常に考え続けることです。もっとも簡単な方法は「ただただ他人が求めていることをやってあげること」です。それはそれで実行するとして、同時に「他人が求めていなくても社会のためになることを発見し実行すること」も行うべきです。

例えば、iPhoneが初めて作られた時、大衆の殆どはスマートフォンを欲しがろうとしませんでした。多くの人がガラ携で十分満足していたのです。今ではスマホがないだけで都心を移動することすらままならない人が沢山いるわけですが、発売された当時は殆どニーズがなかったのだから驚きです。スマホの発明のような大規模なものでなくても、個々ができることから挑戦してみましょう。

周囲が求めていないなら、周囲が求めたくなるように仕向けても良いです。自分が周囲のニーズに合わせるのではなく、自分のやっていることに周囲がニーズを感じられるようにします。周囲を固定し自分を動的にするのではなく、自分を固定し周囲を動的にする。自分のやりたいことと周囲のニーズが合致した時、それは理想的な共生関係にあると言えます。iPhoneはジョブズ(Apple社)のやりたいこと(ビジョン)が周囲に共有されたことで、周囲のニーズが変化し、消費者との共生関係を築けたから成功したとも言えます。

まだまだ生活の多くでお金を利用せざるを得ないのが現状ですが、便利なものは積極的に使った方が良いです。(まあ、お金に変わるもっと便利なものが生みだされても、それらを使えば国が犯罪認定するために、止む終えずお金を使うしかないという話ではありますが…仮想通貨に関する法整備の一連の流れからわかるように、法に反しない便利なものが生まれても、金融ピラミッドの支配者層にとって不都合なものであれば、後から法を作り直してその便利なものを不便なものへと変えられてしまうのが現状です。)

お金は非常に便利な道具です。しかしながら、なぜか我々はそのお金を使用する際に使用料という“利子”を取られています。そしてお金に変わる便利な道具を生み出そうとしたなら、既得権益者たちがあらゆる方法で潰しにかかってきます。事実上お金という便利なシステムが丸ごと独占されている状態なのです。

反発してお金を使わないという生き方もあるかもしれませんが、それでは生活が不便になるだけです。「IHコンロは嫌だから私はガスコンロを使います。」といった感じで選択できれば良いのですが、お金に関してはそういった選択の自由がありません。お金と同じ機能をもつものを勝手に生み出せば犯罪になるからです。円(法定通貨)と同じ機能をもつものを使いたいのなら使用料を納めろと国は言っている(言わされている?)わけで、お金という道具は独占状態にあるのです。「法定通貨を使うのをやめてこれからビットコインを使います。」と言えれば良かったのですが、今となってはそれも無意味な反抗にすぎません。法整備の結果、ビットコインを使う度に日本円で税金を納めなければいけないのですから。この瞬間ビットコインは法定通貨の枠組みから外れた新たなお金という機能を失い、ただの金融商品になりさがりました。

現状、ビットコインでも金融システムを崩壊することができずにいます。地球全体の人口は増え続けているということは、搾取される人間が常に補充され続けているということですから、金融システムのピラミッドが自然消滅することもありません。既得権益者の支配に対抗可能なイノベーションが生まれるまでは“見せかけの共生社会”が続くことでしょう。

色々知るとお金を嫌いたくなりますが、それはそれとして便利な道具は使うことです。既得権益者の掌で踊らされるのは不本意ですが一旦プライドを捨てましょう。不条理に利子として搾取されているとは言え、現状お金を使うことで得られるメリットの方が大きいのは確かです。金融システムが崩壊した“真の共生社会”ができるのはまだ先の話です。なんにせよ今できることに最善を尽くすだけです。

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沼田慶幸が日頃実践しているワークやマインドの使い方を12日間一日一個ずつ実践していくメルマガ。各種サービスのお得なキャンペーン情報も配信。メルマガ登録者には有料ブログ「億り人コーチの脳」で書かれた有料記事を一つだけプレゼント。