セルフコーチングを始めるにあたって、「自分が何をやりたいのかわからない」、「なかなかゴールが見つからない」といった悩みに直面する人は少なくありません。

また、人生に悩なんだ末、自分探しの旅に出たことがあるという人もいるでしょう。自分探しの旅に出た結果、本当の自分が見つかったという人もいれば、世界中旅をしてもどこにも本当の自分は見当たらなかったという人もいるかもしれません。

本記事は、いまだに「ゴールの設定ができない」、「本当の自分が見つからない」といった方のためにそういった問題を解決するためのヒントを記述しています。この記事を通してあなたが抱えている問題の解決の糸口が見えれば幸いです。

では、本題に入ります。

よく「自分探しの旅に出る」などといった言葉がありますが、それはどういった旅だと思いますか?たまに自分を探しにインドに出かける方とかもいらっしゃいます。インドに行ったことがきっかけで本当の自分が見つかったという人はいるかもしれませんが、「本当の自分がインドにいた」というわけではないかと思います。

本当の自分というのはどこかの土地にいるものではありません。本当の自分を見つけるにはあるステップを踏む必要があります。そのステップはたったの二つです。一つ目のステップは「仮初の自分を除外していく旅」になります。これを私は「自分探しの旅の往路」と呼んでいます。二つ目のステップは「本当の自分を構築する旅」になります。これを私は「自分探しの旅の復路」と呼んでいます。

まずは、一つ目のステップである「仮初の自分を除外していく旅」とはどういうものか説明いたします。

「あれも違うこれも違う」と言いながら、「本当の自分とは何だろうか?」、「自分が本当にやりたいこととは何だろうか?」と悩んでいる人がいるとしましょう。この人は今まさに「仮初の自分を除外していく旅」をしている状態です。果たしてこの旅の行き着く先はどこでしょうか?

本当は悩みに悩んで悩み抜いた末に行き着いた方が体感として理解しやすいのですが、ここで答えを言ってしまいます。自分で答えを見つけたいという方は今すぐこの記事を閉じてください。

「仮初の自分を除外していく旅」に出て行き着く先は「空」です。「空」とは「有るとも言えるし無いとも言える概念」です。自分という存在は確かに存在するのですが、その存在というのは幻想に過ぎません。つまり、「本当の自分はこれだ」と強く信じていれば確かに存在しますし、「本当の自分がどこにもいない」と思っていれば存在しないのです。

本当の自分を探している間というのは、仮初の自分を除外する作業を行っています。本当の自分を探している時、人は「これは本当にやりたいことだろうか?」と一つ一つ吟味し、「やっぱりこれは本当にやりたいことではないな」と言って、一つ一つやりたいことや好きなことを除外していっています。自分探しを続ければ続けるほど本当の自分がわからなくなるのは当然のことです。やりたいことや好きなことというのは吟味した瞬間に、そうではなくなってしまうからです。人は吟味した瞬間に視点の抽象度が一段上がってしまいます。すると、スコトーマが外れて盲目的に「やりたい」と思っていた事柄に対して「やりたくない」理由まで見えてしまうのです。そうなると本当にやりたいことなのかどうかがわからなくなってしまいます。そして「やりたくない理由があるのだからこれは本当にやりたいことではない」と言って、本当の自分の候補から除外してしまうのです。

これを繰り返していくと、どんどん視点の抽象度が上がっていき、最終的には「やりたい」と思ってたことが何もなくなり、空にたどり着きます。同様に「これは自分じゃない。これも本当の自分ではない。」と片っ端から自分と思えるものを除外していくと気づいた時には、どこにも人がいなくなってしまい、本当の自分なんてものは存在しないことに気づきます。

「仮初の自分を除外していく旅」とは、何もない空っぽな状態に辿り着き、「実は本当にやりたいことなんてなかったんだ」、「そもそも本当の自分なんていないんだ」といった「事実に気付く」ための旅です。今まで感じていた「やりたい」といった欲求や「本当の自分」といった存在が幻想であることに気付くことがこの旅の終着点となります。

これは随分危険な旅だと思う人もいるかもしれませんが、不思議なことに人間はこの状態を維持しようとしないのでご安心ください。空を維持したままその後も瞑想を続けて死んでしまうという人は長い人類史の中でも殆どいません。人間はなぜか空に到達しても、再度何らかの価値観を構築して現実世界に戻ってくるのです。この空から現実世界に戻ってくる過程が二つ目のステップである「本当の自分を構築する旅」に相当します。

価値観を構築するとはどういうことかというと、「何に価値を感じるか」つまり「何がやりたいか」を設定する作業といえます。やりたいことや好きなことが定まると同時にやりたくないことや嫌なことが定まります。そしてそれらがアイデンティティとなり、「自分」という存在までもが浮き出てくるわけです。

つまり、自分探しの旅とは、一度自分の価値観をリセットして納得のいく価値観を再構築する作業であると言えます。どのような価値観を構築するかは本人の自由です。一度空に辿り着いてしまうと、価値観を設定するときに「この価値観は絶対的に正しい」という確信は得られないかと思いますが、それで問題ありません。価値観が正しいかどうかは置いておいて、「私はこの価値観を信じる」というスタンスが大事です。

「人を殺してはいけない」、「他人を侮辱したりいじめたりしてはいけない」といった当たり前のように受け入れている価値観ですら、絶対的に正しいかどうかなんてわからないのです。「この価値観が絶対的に正しい」という確信を求めるのではなく、「この価値観を持てば良い未来が訪れるに決まっている」と自分で作り上げた価値観を信じられる心を作りましょう。

今まで設定されていた価値観が、実は自分自身で作っていたものだったと自覚できると、「本当の自分」という存在が自己責任のもと自ら創り出されている存在に過ぎないということに気づけます。新たに価値観を構築して本当の自分を作り上げる際には「自分という存在を自己責任で受け入れ運用する」という姿勢が欠かせません。完全に他責の念を捨て、自己責任で自分という存在を認めることで初めて本当の自分を見つけることができます。つまりは自己責任を受け入れられる世界(状況)にしか本当の自分は存在しないのです。逆にいうと、他人や環境に責任を押し付けている間は、本当の自分を生きることができていないということです。

自我も価値観もゴールも全て同じものです。つまり、「本当の自分」も「やりたいこと」も「望む未来」も全て同じものを指しています。見方によって婦人に見えたり老婆に見えたりするトリックアートがありますがそれと同じです。ゲシュタルトの作り方次第でそのトリックアートは「婦人の絵」とも認識でき、「老婆の絵」とも認識できるように、ゲシュタルトの作り方次第で、それぞれ「自我」「価値観」「ゴール」といった概念に変化します。要するに、本当の自分が定まって入れば勝手にゴールも定まっているものなのです。

妻と義母

※妻と義母:妻と義母 (つまとぎぼ, My Wife and My Mother-In-Law) は、多義図形に分類される隠し絵のひとつ。 一枚の絵で、若い女性と年老いた女性の二通りに捉えることができる。

本当の自分が定まっていれば、ゲシュタルトの作り方を少し変えてあげるだけでゴールが見えてきます。「ゲシュタルトの作り方を変える」とは言葉で説明するのはやや難しいですが、誰でも自然とやっていることです。トリックアートを「婦人の絵」として見ている状態から「老婆の絵」として見ている状態に認識の仕方を変えるのと同じようなイメージだと考えてください。ゲシュタルトを構成している要素が全く同じものであっても、各要素に対する重要度を変えてあげる(或いは各要素が持つ意味を変えてあげる)だけでゲシュタルトは変化します。妻と義母の絵で例えるなら、婦人の耳に該当する要素(老婆の目に該当する要素)を「耳」という意味で捉えるか「目」という意味で捉えるかで絵全体が別の意味を持つゲシュタルトに変化します。

本当の自分を定めるには、自己責任のもと「これを本当の自分として認める」という工程が必要です。この時の自己責任の感覚は非常に重要です。なぜかと言うと、完全に自己責任で自分を作り上げていることを認めない限り、クリエイティブに他人や環境を理由にして望まない自分を作り上げてしまうからです。大抵の場合、現状の自分がコンフォートゾーンとして定着しているため、現状の自分を維持しようとするとクリエイティブアボイダンス(創造的回避)が発動してしまいます。他人や環境といった逃げ道があるとより創造的回避が起きやすいのです。

自己責任で自分を定めることが重要と言いましたが、それ以上に注意しなければいけない問題があります。自己責任の範疇に収まる選択であれば、高いエフィカシーと少しの勇気で選択可能です。つまり自己責任の範疇に収まる自己の書き換えであれば割と簡単にできるということです。ですが、自己責任の範疇を超えたところにある自己の書き換えはなかなか容易ではありません。

例えば、「あの人の期待を裏切るわけにはいかないから」とか「病気の母親の面倒を見なければいけないから」といった、理由から自己の書き換えができないでいる人は沢山いるかと思います。他人に対する優しさや慈悲心がもたらす創造的回避はとても強い力を持っています。優しい人ほど、他者への共感力が高く罪悪感を抱きやすいです。他者に不利益を被らせてしまう選択を強く嫌います。自分に過失はなくても、自分の選択によって他者が困ってしまう(或いは困り続ける)ことが想像できてしまうと、それを回避するために他者や環境に合わせた自分を選択してしまうのです。

この問題を解決するには、もう少し細分化して考える必要があります。優しさや慈悲心による創造的回避は三つのパターンに分解可能です。一つ目は、「他人に失望されたくない」という見栄による創造的回避です。これは一見優しさや慈悲心による創造的回避のように見えますが、実際は他人の目を恐る自分の弱さに目を背ける自分自身にそのように言い聞かせることで現状維持を肯定しているだけともいえます。この場合は単にエフィカシーを上げるだけで解決可能です。二つ目は、罪悪感を背負う痛みから身を守るために行われる想像的回避です。これは優しさと混同されがちですが、実は単に自分が罪悪感の重みを感じたくないという自己防衛本能がもたらきた想像的回避です。これも一つ目と同様にエフィカシーを上げ、罪悪感の重みに耐えられる自信を持ち、その先にあるより良い未来を強くイメージすることで乗り越えられます。

最後に三つ目のパターンは、「本当はもっと別のことをやりたいのだけどそれは二の次にして周りに合わせよう」といった創造的回避です。このパターンの場合は、すぐに解決することができないわけではないですが、焦ってすぐに解決すべきものでもありません。すぐに解決する方法は簡単です。「大義のための多少の犠牲は仕方がない」という信条を持つことです。つまり「より大きなゴールのためなら敢えて小さなゴールを捨てるのは良いことだ」と考えれば前向きに考えられるようになるということです。ですが、このような考えを人の命に関係するゴールにあてはめてはいけません。「より売上を上げるために広告営業にコストがかかるのは仕方がない」といったレベルのものであれば問題ありません。それはただの経営戦略であって、経営上選択肢として吟味すべきものです。ですが、「より多くの人を救済するために、多少の犠牲は仕方がない」といった人の命を数で比較するような危険思想になると非常に問題です。なぜ人の命を数で比較してはいけないかについてはここでは語りませんが、もしこのような危険思想に至ってしまっていたらそれはあなたのゴールに余裕がない証拠だと思ってください。犠牲にしてはいけないものを犠牲にしなければ達成できないようなゴールは、今のあなたの思考抽象度で達成できるほど甘くはないということだけ言っておきます。


三つ目のパターンの創造的回避が起きた時は、とにかく焦らないことです。まず、周りに合わせてあげているこの状況に対して不平や不満を感じることをやめましょう。「今すぐ別のゴールに向かって進みたい」という気持ちは十分わかりますが、あなたのゴールはあなた自身が諦めない限り消えることはありませんので、心に余裕を持って今できることをやりましょう。数十年スパンで設定された抽象度の高いゴールであれば尚更のことです。数年のロスは誤差に過ぎません。

とは言っても、人は終わりの見えない拘束に弱い生き物です。「いつになったら自分のやりたいことができるのだろうか」と考えると生きることがとてもつらく感じてしまいます。もし、今自分のゴールよりも他人を優先して目の前の人を助けることを選択していたとしたら、その状態をいつまで続けるのか期限を定めておくと良いかと思います。期限を定めておかなければいつまで続くかわからない状態で、他人の期待にこたえるための人生を送り続けることになります。あくまでも自分の人生は自分のために生きるということを諦めてはいけません。

私事ですが、今現在、母が病気で介護が必要な状態となっています。おそらく親族の介護で悩まれている方は多いのではないでしょうか?介護というのはなかなか終わりの見えない拘束を余儀なくされます。2、3年で終わるかもしれないですし、10年20年と続く可能性もあります。私自身そのような状況にいますが、家族と相談して、「私が自宅で母の介護に携わるのは医者に言われた余命の◯年まで」と期限を決めて、母の介護と自分のゴールとの折り合いをつけています。私には兄と弟がいますが、この選択は私自身が自己責任のもと決めた選択であり、この状況に対して兄弟に不平や不満をこぼすことはありません。なぜなら、他者への慈悲心が原因で自分のゴール達成が多少の遅延してしまうのは、何ら問題のないことだと確信しているからです。

どんなゴールを設定するかは個人の自由です。ですがその設定したゴールによって自らを苦しめてしまっては本末転倒です。心の平穏を保てるゴールを設定し余裕を持ってゴール向かいましょう。人生は結構長いです。最近個人的に思っていることですが、人生は急いで進むとおそらく途中で飽きちゃいます。ちょっと前までは悔いのない人生を生きたいとばかり思っていたのですが、今は死ぬ前にやり残したことが何個か思い浮かぶくらいが丁度いい塩梅の人生なのかなと思ったりもします。(やり残すことが良いことというよりは、死ぬ直前までこの世界に何らかの好奇心を持って生きていられる心の在り方が大事だと思っています。)

ゴールの達成に焦りを感じたりするのは、大抵の場合、無意識に他者と比較したり、他人からの評価を気にしてしまっているからです。そのような比較の概念を内包しているゴールや他人が作った物差し(価値観、評価軸)の重要度が高いゴールは自分のゴールとはいえません。他人の人生を生きているようなものです。つまりはそのようなゴールに向かっている自分は本当の自分とは言い難いということです。何も焦る必要はありません。気持ちを楽にして自分のゴールを設定してください。他人のゴールではなく自分のゴールを設定できた時、そのゴールに向かって生きている自分が本当の自分です。

それでは、私からの助言は以上になります。この記事を読まれた方が、良い自分探しの旅ができること期待しております。

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